寒河江市は中世、大江氏が築いた寒河江城の城下町として発展しました。
鎌倉幕府で源頼朝の側近だった大江広元は、1189年寒河江荘の地頭となり、
当初は妻の父である多田仁綱を派遣し現地を治めていました。
しかし承久の乱で上皇側に付いた為、現在の寒河江市へ下向し土着し、
以降約400年の間周辺を支配します。
1584年山形城主・最上義光とのに戦に敗れ自害し、寒河江大江氏は滅亡しました。
大江氏は文化的事業のも力を入れ慈恩寺や寒河江八幡神社などを庇護し社殿の造営や改修、
土地の寄進など積極的に行いそれらは寒河江の貴重な文化財として今でも受け継がれています。